江戸時代の日本の教育

 

前回、フィンランドの教育について話しました。

 

フィンランドは素晴らしい国、

幸せに暮らせるしくみを構築していますが、

 

それでも私は日本が好き!

日本を誇りに思っています。

 

それは私たちのご先祖様の

生き様を知ったから。

 

日本でも江戸時代の社会システムや教育は

フィンランドに引けをとらない

人を大切にするシステムだったのだから。

 

精神性が高く、識学率も高い。

江戸時代当時、

類を見ない程の稀な民族でした。

 

それは、武士道的なものが

庶民の間でも広まっていたからです。

 

このことは

「武士の子育て」 石川真理子 著

がとても参考になりました。

 

武士の家計に生まれ、

自身も武士の教育を受けて育っていて、

家に伝わる書物などからまとめられたそうです。

 

江戸時代の教育は、

今の日本人が失ってしまっている

大切なことを教えてくれますので、

シェアしたいと思います!

 

 

家康さんの教育熱

 

江戸時代は身分制度が厳しくて

農民は年貢に苦しめられていた。

なんていう事実はない…

 

近年、そういうことが

本当によく聞かれるようになりました。

 

歴史の教科書は、明治維新を正当化するために

現代人を洗脳するためのツールなのです。

 

江戸時代が優れていたなんて

ばれたら困る人たちがいるんですね。

 

明治維新から他国と戦争が始まった、

という事実を見ればわかりますよね。

 

大和魂、武士道精神のおかげで

日本の国民は精神性が非常に高かった。

 

家康さんがすごかったんです。

 

国家安泰のためには

子供の教育に力をいれる必要がある。

 

倫理観のある正しい政治を行うことのできる

公平無私な人物を育て上げることを重要としたのです。

 

そういうことだったので、

江戸時代の農民は自由で豊かに暮らしていました。

 

平和だったので、生きる不安から解放され、

人々の関心は教育や文化や娯楽に向かい、

 

武士階級向けの読み物を

庶民が買って読んだりしてたんだって。

 

 

だから江戸時代の日本は世界的に見ても

まれな教育立国であり、

 

程度の差こそあれ、

特権階級から庶民に至るまで

武士の教育理念に則した教育を受けていたのです。

 

フィンランドが教育立国として有名になり、

教育に携わる多くの日本人が

フィンランドの学校を視察しに行ってるんだけど、

 

元祖教育立国はこの日本!!だったのです。

 

今の日本は観光立国なんだって。

苦笑いしかないわ。

誰かにはめられとるんでない?

 

観光に力を入れてしまうと、

国力は下がるんだよね。

 

武士の教育

 

では武士の教育とは、

どんなものだったのでしょうか。

 

徳が先で、才が後。

 

徳とは何かを理解したうえで

次に学問だったのですね。

 

八徳は生涯の心掛け、というものがあります。

 

…親を安心させる、親しき中にも礼儀あり。

 

…年上は年下の意見に

よく耳を傾け真摯に教え導く。

 

年長者が間違っていれば

年下であろうと意見を言う。

 

…自分のすべてを捧げても

惜しくない何かを見つけた時

自然と尽くしたくなる。

 

…自分を信じ、人を信じる。

 

…前向き、たとえ後退しているようでも

それは前進する上での変化であり、

上達のために必要なことなのかもしれません。

 

すべてが前進であり過程。

このように考えると

途中でくじけそうになっても

勇気を出していこう、という気持ちになる。

 

…自分の行いの判断を自問自答する。

最後は天が判断する。

 

…潔く立派。

捨てるべきを捨て、取るべきを取る。

 

…人から嘲笑されたり、

さげすまされないようにする。

 

が、一方で人はすぐそうしてくるもの。

 

「そんなものだ」と平易な心で理解しておきたい。

たとえ誠を尽くしても

嘲笑されることも時としてある。

 

だとしても言い訳をしない。

言い訳をする方が恥ずかしいこと。

 

さらに言えば、

誰もがそうした弱さを抱えながら、

それでも懸命に生きていこうとしているのに、

それをないがしろにしたり、

軽んずることが「恥」

 

以上が八徳です。

 

 

武士とはつくづく偉いもので、

どんな状況に置かれようと

民に規範を示すため、

身を修める努力を惜しみませんでした。

 

まさに「武士は食わねど高楊枝」です。

 

意味は、

武士は貧しくても食事が出来なくても

あたかも食べたかのように

楊枝を使ってみせる、ということ。

 

現代では「やせ我慢」という意味で

使われる場合があるそうですが、

真意はちょっと違っているようです。

 

江戸時代の武士の多くは、

今でいう政府や役所の役人でした。

 

彼らの多くは私利私欲に走ることなく

世の中のため、

国家のために働いていた。

 

武士の美徳を表す言葉なのです。

 

江戸時代は平和だったから、実は武士は

農民よりも貧乏だったとの話は聞きますね。

 

確かに見栄っ張りといえば見栄っ張りですが、

武士の誇り高さにキュンとします❤

 

今の日本政府の役人は

世界でもトップクラスの収入を得ていながら

国会中継では居眠りしています。

 

なんとお恥ずかしい人達なのだろうか。。。

恥を恥とも思わない。

ご先祖様が泣いてるよ、きっと。

 

話を戻して、武士の精神は

一朝一夕で身に付く訳ではありません。

幼い頃からの家庭教育あってのことです。

 

幕末の日本では

父親が子供の面倒をよく見てるし、

 

年配者や弱い立場の者をいたわる思いやり

「悌」

をわきまえていればごく自然と

「そんな卑怯なことはできない」

という思考が働くことを

しっかり教えていました。

 

が、明治になり、時代が過ぎ、

私たちの親世代は

江戸時代の教育を受け継いでおらず、

 

たまに家にいると権威ばかり振りかざして

大事なことを教えることもできない親に育てられ

 

その反動で、

現代の親子関係は友達親子になっており、

子供を甘やかしてしまっている親が多いのです。

 

林子平さんの教え

 

江戸時代の思想家、林子平さん(仙台藩)は

甘やかし子育てに対して

このようなこを言われています。

 

甘やかされて育った子供は忠孝も知らず

義理も恥も知らず

何事も反省することがない。

 

そして年頃になると

欲のままに行動するようになる。

 

物欲のために金使いも荒くなる。

 

当然忠孝を損ない、恥を恥とも思わず

それでもなお情欲を止めることが出来ず

 

色情に流されてゆき、

止めることが出来ないため、

様々な工夫をしてまで色欲を満たそうとし

 

金銭を浪費し、

ついには父母の許しもないまま

女性を家につれこんで同棲したり

詐欺まがいの方法で

大金を入手するようなこともしでかす。

 

ちょっと笑ってしまったけど、

納得ですな。

 

幕末は世が乱れ始めているので、

徳を教えられない親も増えてきたそうで、

それに危機意識を持ってらしたようです。

 

他にも、

不作法なれど、その孫、ひ孫も不作法なり

という言葉があり、

 

孫一人の愚を見れば、

父親と祖父三代先までの愚が一目瞭然。

 

これが天下の恥ずかしいことである。

父兄たる人は眼目を開いて工夫あれ。

ともことだそうです。

 

逆に、

しっかりと根を張り巡らせた樹木が

強風にしなりながらも

倒れることなく立ち続けるように

 

基本、根本がしっかりしていれば

臨機応変な対応が可能になる。

という言葉を残しています。

 

それから、子平さんは「考」を第一に考え、

続いて「悌」としていました。

 

目上の人を敬うこと、

弱い立ち場の人に思いやりを持つことです。

 

デンマーク人のエデュアル・スエンソンさんは

日本人を見てこう言ったそうです。

 

「日本人はめったに物怖じすることなく、

年若い青年が自分より身分の高い人に対して

率直であけっぴろげに会話しているのを目にして驚いた。」

 

年長者に若者が堂々と意見を言い、

それを真摯に受け止める懐の深さが

年長者にありました。

 

とてもいい関係が築かれていたのですね。

 

他にも、

「青少年に地位年齢を尊ぶことが教えられる一方で

自己の尊厳を主張することも教えられている。」

 

「日本の上層階級は

下層の人々を大変大事に扱う。

最下層の召使いが

主人に厳しい扱いを受けるのは稀。

 

主人と召使いの間には友好的で

親密な関係が成り立っており、

西洋にはまず未知の関係。」

 

日本の美質ですね~。

 

勉強になる教えは本当に沢山ありまして、

 

「自分のたてる音を聞け」

という言葉は、動作が丁寧になるとのこと。

 

怒る…は親の気分、私心が主。

しかる…は子供が主、その子のためを思い伝えること。

 

甘やかすことや、感情的に怒ることは

親自身が大人になりきれておらず、

ありのままの自分を受け入れていない

ことからきているそうで、

 

虚勢を張ることと、威厳があることは異なる。

と説いています。

 

仙台には林子平さんの像があります。

 

江戸時代の学問

 

江戸時代といえば寺子屋。

読み書きそろばん、ですね。

全国の町や村にありました。

 

(でも実は当時寺子屋ではなく、

手習指南所と言われていたそうです。)

 

寺子屋の師匠の大半は町民で、

師匠たちは、寺子屋に学びにやってくる

子供たちひとりひとりの親の職業や本人の希望を考え、

それぞれに合ったカリキュラムを組んでくれていました。

 

机の向きはバラバラで、

年齢もかなりマチマチだったようです。

 

 

藩校に関しては、朱子学を主とする

儒学の講義や武術を授けるものが大半でした。

 

後には洋学や国学も取り入れられ、

講義内容の多様な塾も存在していました。

 

とくに民主体の教育機関である寺子屋は

日本各地に設置されていたため、

江戸末期日本の識学率は

50%にも達していたんだとか。

(江戸は80%らしい)

 

同時代のアメリカで20%

ロシアが10%であることを考えると

極めて高い教育水準を誇っていたことがわかります。

 

大和魂取り戻し

 

このように、

江戸時代は武士の教育が庶民の間でも広がり、

徳をしっかり学んだうえで

様々なことを学んでいました。

 

現代はこれが逆かもしれません。

学力第一なような…。

 

昔の人は、

「おてんとうさまが見ている」

って言いますよね。

他人はごまかせても自分はごまかせない。

とも。

 

自分の良心や天に対して恥ずかしい。

 

これは武士にとって

最もつらいことだったそうだけど、

 

武士じゃなくても、

現代の私たちも忘れてはいけない大切なこと。

 

そんな今更みたいなことを思い出し、

自分に誇りを持って生きたいものです。

 

最近では、道徳が教科に加わり、

教科書ができました。

 

従順で扱いやすい人材が好ましい

という意向が入っているのは気になりましたが

おおむねいい内容でした。

 

教科書会社さんが頑張ってくれてることが

伝わる教科書でした。

 

ただ、思いやりを持とうとか、

人を大事にしようとか、

子供たちは漫画やドラマで学んでいて

正解はすでに知っている。

 

どういう答えを出せば大人が喜ぶのかも知っている。

 

だけど、実生活に生かすかどうかは別。

それとこれとは別っていうね。

そうなっちゃっていないだろうか。

 

それって

私は学校教育が競争比較システムである以上、

いくら道徳で学んだところで厳しいと感じてます。

 

学校の制度が、戦後アメリカに習った

資本主義に対応させるためのシステムである限り

エネルギーの奪い合いはなくならない。

 

いじめとかなくならないと思うんだよね~。

 

(資本主義はさっさと終わってもらわんと。)

 

だから私は、子供たちに本当の歴史や、

今社会がこうなっている理由、

大人が正しいとは限らないことなど

全部話しています。

 

武士の教育の話は

今流行りの鬼滅の刃にも通じる話もあるので

興味のあることを交えながら

楽しく話し合いが出来ました。

 

 

武士の教育は失われてしまっていますが、

普遍的な部分が多く、

日本人の気質にぴったり。

 

日本が戦争に負けてから

GHQ、マッカーサーが日本のあれこれを

変えていき、今に至りますが、

 

武士の教育、大和魂は、

私たちのDNAや

この日本の大地に記憶されている。

 

今、まさに復活の時。

 

日本の歴史の真実を知れば知るほど、

「なんでこんなことが…」と

悔しくて涙が出ますが、

 

それでも…

 

まあ、しょうがない。

それがその時の時代の流れだったと。

 

潔く忘れて

日本人としての誇りを胸に

前進していきたい。

 

アングロサクソン優位の時代はおしまいだからねーーー!!

 

この国は元々倭の国。

倭はあて字で、本来は輪、和。

この和の精神を持っている民族。

 

私たちで、

世界に和の精神を教えてやりましょうや。

(*^^*)