いつ死んでもいい

 

まだまだ死ぬ気はありません。

 

「いつ死んでもいい」っていうのは、

いつ死んでも後悔ないくらい、

毎瞬ベストを尽くすということ!

 

今この瞬間における自分のベストを

選択、選択、選択の連続で生きる。

 

 

死んでから思うことが、

「あ~、もっと好きに生きればよかった。」

だった。

っていう話、何度か聞いたことがあります。

 

死んだ後、気がつくんだそうです。

 

つつましく生きるのが美徳だったから?

 

人のために尽くし、

まわりにいい人と思われ、

自分の本当の気持ちに蓋をし、

我慢し、

頑張って頑張った人生。

 

亡くなった後、

葬儀に「あの人はいい人でした。」

って沢山の人が参列したとしても、

満足なんかできないんじゃないだろうか。

 

少なくとも私はそう。

 

そもそも、

この世界は自分が創ったホログラム。

 

自分が死んだら、

この私(観測者)が今まで見ていた

この世界(ホログラム)はなくなるのだから、

残された人がどうとかっていう発想じたい

おかしなものということになる。

 

(49日間は地球を彷徨えるそうですが。)

 

私たちは、地球で人間やりたいって

決めてから、そのすべてを

いったん忘れてからスタートする(生まれる)

 

そして、

宇宙の法則とは真逆のことを

幼い頃から教え込まれるという、

すごいルールのもと遊ぶことを選んだ私たち。

究極のゲームだよね♬

 

だからね、

最悪なことも、超HAPPYなことも、

なんでもかんでも山あり谷ありで

じゃんじゃん経験すればいいんだって思う。

 

最悪ったって、最悪じゃないわけ。

 

私たちは永遠の存在なんだから、

本当は何にも怖くない。

 

その時はそうだった

というだけなのです。

 

 

私ね、子供の頃、

いろんな遊びを思いついてて、

天才なんじゃないかと思うくらいなんだけど、

 

その中でワニごっこっていうのがあったのね。

折り畳んだマット(割と高さがあった)

の上に姉や友達、みんなで乗っかって、

マットの下にはワニがウヨウヨいるって設定。

 

で、わざと落ちそうになって、

「落ちる~!」「落ちる~!」って

きゃっきゃやるっていうアホな遊びなんだけど、

 

完全なる自作自演の妄想なのに、

超盛り上がってた! 笑

 

実はこれみたいなこと

私たちやってるようなもん。

 

ワニごっこより、

超リアルに体感しているだけ。

スケールをでっかくしたようなもの。

(…ってざっくり過ぎな例えですが。)

(汗)

 

すべては神々の遊び。

戯れ。

 

 

何してもいい。

 

ゆっくりおいしいコーヒーを飲むでもよし、

音楽に合わせて踊る?歌う?

 

怒りたいときはしっかり怒って、

すねて、わめいて、

大笑いすればいい。

 

 

そばにいる誰かには何て声をかけますか?

 

明日死ぬとしたら、その人にどう接する?

 

愛おしさを感じ、

かけがえのないこの瞬間に

嬉しさが込み上げてきて、

あたたかな言葉が出ませんか?

 

そしたら、相手からも、

あたたかなものが返ってきて、

あたたかい循環が起こる。

 

私はそのように過ごせたら、

いつ死んでも「まあいいか、」

って思うだろうな~。

 

 

言いたいことは言って、

やりたいことはやって、

食べたいものを食べて、

なんか好き、だけで選んで、

 

怒って、泣いて、笑って、

まんま自分、

ただ、自分でいればいい。

 

「生きてる~!!」って心から思える。

その感覚って、これまた

エクスタシーなのです❤